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2004 アメリカ
監督:ロバート・ハーモン
出演:トム・セレック、ジェームス・レマー、ティモシー・ボトムスほか
<ストーリー>
1943年12月、英首相チャーチルのもとに米軍大将アイゼンハワー(以下アイク)が訪れていた。
アイクは連合軍の史上最大の作戦に向けて、陸海空の全権をくれなければ連合軍総司令官の任を辞任すると脅す。
チャーチルは、前代未聞の大権力にその決断をためらっていた。
英空軍ハリス大将、米陸軍スパーツ中将も反対意見を持っていた。しかし、アイクは全権を得なければ作戦の成功は見込めないと説得する。
チャーチルはアイクの代わりに誰が適任かと考えるが、ハリスは打たれ弱い、マーシャルは米大統領が離さない、マウントパッテンは太平洋にいるなど、結局アイク以外はいないのだった。
連合軍総司令官となったアイクは、バラバラになりがちな陸海空の将軍どもを操るのが重要課題であった。
地上軍総司令官となったモントゴメリーは自信過剰で、ノルマンディ上陸作戦は広正面戦略と決まっているのに、
いつまでも狭正面戦略にこだわっている。モントゴメリーのプライドを保ちつつ、言うことを聞かせるのもアイクの役割であった。
1944年4月16日。ノルマンディー上陸作戦決行日(Dデイ)が近くなって来た頃、アイクのもとにパットン中将がやって来た。
ソ連軍を敵視した発言で更迭されようとしているところをマーシャル参謀総長から身を預けられたのだ。
パットンはアイクの元上官であり、アイクは本国送還だけは許してやる。
そのかわり、ドイツ軍の目をそらすための幽霊部隊の司令官に任ずるのだった。
4月28日。英国の海岸に米兵の死体が流れ着く。
米第4歩兵師団の新型兵器水陸両用車輌やDD戦車(ドナルド・ダック)の夜間訓練中に、ドイツ軍の魚雷艇攻撃を受けたのだ。
兵員や兵器の損失も痛かったが、上陸作戦の内容を悟られることが懸念された。
しかし、ドイツ軍はパットンがカレーに上陸するものと信じていた。損失したLST補充期間が必要なため、上陸作戦は5/19から6/5に延期された。
さらに、作戦の機密保持のためドーバー海峡の民間船渡航を全面禁止にする。
ところが、米軍のヘンリー・ミラー少将がバーでの飲酒中に作戦内容を大声で話してしまう。
近くにいた101空挺師団のの士官の通報で急遽逮捕され、アイクは本国送還処分にする。かつての友人であったが、心を鬼にしての決断であった。
いよいよ作戦が近くなり、イギリス国王への作戦説明会がモントゴメリーの司令部で、開催された。
Dデイは天候が重要課題であった。荒天であれば上陸戦に著しい被害が及ぶのだ。
ただでさえ難しい気象予報だが、アイクは気象長官に正しい予報を出すよう厳しく命令した。
また、上陸戦に先立って行われる予定の、ドイツ軍背後への空挺師団降下作戦における損失予想が悩みの種であった。
空軍総司令官のマロリーの予想では7割が死傷するとされ、殺戮的数字に作戦の実施に踏み切れずにいた。
6月1日。アイクはサウスウィック・ハウスに本拠地を移し、6月3日、悩みに悩んでアイクは空挺部隊の降下作戦の実施を決定する。
アイクは、空軍総司令官のマロリーと第1軍司令官のブラッドレー中将に成功を託すのだった。
6月4日。上陸後のフランス国内レジスタンスの協力を得るため、自由フランスのド・ゴールに作戦を明かす。
しかし、傲慢なド・ゴールは作戦にケチをつけたうえ、協力を拒むのだった。
直前になって低気圧が3つやってくることが判明。全船舶、航空機はすでに待機している。
作戦を実施するには先発隊は出航しなければならない・・・
もし、今回作戦を実行しなければ満ち潮の関係で、次回実施は夏以降となってしまう。
アイクは、28時間だけ待つ事とし、Dデイを6月6日に設定する。
気象長官の予報により、嵐の切れ目が出来ることが判明し、その間をぬって作戦の実施が決定された。
アイクは空挺師団の将兵観閲の帰りに、作戦失敗時の会見文書を作成する。
そして、ついに作戦が実施された。空挺部隊の損失は約2割であった。
マロリーの約7割という想定をはるかに下回ったが、アイクはたった一人でも損失は損失だとつぶやく。
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